■東谷の文化財と郷土資料館  もどる

  
●東谷郷土資料館

 昭和40年代の後半、東谷の農家は改築され、納屋は壊され、今まで役立った農機具、家具調度品が無造作に焼却されていましたが、 「先祖の血の通った、汗と脂の染み込んだ東谷の歴史を物語るものは、絶対に金で買えない貴重な宝、何とか保存しなければならない」 と郷土資料の収集を開始したのが郷土資料館の始まりです。
 東谷郷土資料館は、木下地区の旧高橋家の家屋を東谷興農会より無償で提供してもらい、移設・改造して昭和55年(1980年)4月に開館しました。
 そして、20年後の平成12年、東谷興農会の援助で屋根の雨漏りを修理し、案内板を設置。翌年8月の東谷地区まちづくり協議会発足を機に、 専門部会『東谷郷土資料館運営委員会』をスタートさせ、館内の清掃や所蔵品の整理を開始。平成16年3月にリニューアルオープンしました。
 令和3年(2021年)、東谷興農会の建て替えに伴い、会館内に展示コーナーが共設されました。各町内の公民館長が、交代で案内しています。
★東谷資料館 開館日時★
毎週火・木曜日 11時から14時
  ○所在地 〒803-0184
   北九州市小倉南区木下 
      (東谷出張所横東谷興農会敷地内)
  ○連絡先
   東谷市民センター TEL 093-451-0217
  ○開館
   毎週火木曜日開館(祝祭日除く)
   事前の申し込みにより随時開館
        (日曜、祝祭日除く)
  ○入場料:無料
●令和3年11月9日 新しい 東谷郷土資料館 オープン
●原口九右衛門の紙芝居
●展示品〔糸車など〕
●展示品〔農機具など〕
●展示品〔趣のある古い郷土資料館の写真展示〕

●東谷の文化財

●昔の東大野八幡神社(石原町)

 寛文7年(1667年) 大野郷九カ村により東大野八幡神社が建立された。 以来、東谷地区の産土神として崇敬を集めている。上記写真は、昭和40年代のものである。

●現在の東大野八幡神社(石原町)

   現在の拝殿は、鉄筋コンクリートづくりである。 秋季例大祭は11月2日、3日に実施され、石原町駅前より神社まで 子どもみこし、大人みこしの巡幸が行われる。

●岩応寺(母原)

 大きな石灰岩の絶壁が連なる間に小さなお堂がある。以前は町内主催の相撲が行われていたという。 伝えによると、大友宗麟が豊前侵攻の時、ここを本陣としたという。



●里程標(石原町)

 大応寺入口にある。高さ1.5m程で30cm真四角の石柱の3面に 「従是小倉迄弐里弐拾五町」「従是大里迄参里弐拾五町」「従是呼野迄壹里十四町」と彫ってある。

●木下本村の椋の木

 昔、木下が大火事の時に偉いお坊さんが通りかかり、お祈りして水の神 をよび、その力で大火を静めた時にこの木に神様がお降りになったという。胸高樹囲は3m程、枝を17〜18mは張っている。   

●山家先生之碑(新道寺)

 表面の「山家先生之碑」の文字は森鴎外の書である。法円寺表門の左にある。 三谷に高等小学校が必要と訴え、中谷高等小学校の設立に功績があった人。明治31年逝去。享年28歳。

●原口九衛門顕彰碑(木下)

 企救一揆(明治2年)の責任者として日田にて処刑された原口九右衛門の顕彰碑。 当時、役人や庄屋の不正が横行していた。これをただすべく東谷に端を発した一揆は次第に拡大し、企救郡一帯におよんだ。

●池田治平の墓(新道寺)

  自然石の表面に「池田治平の墓」と刻まれた墓標。 「明治三十九年旧八月二十四日死ス 七十七歳」と刻まれている。企救一揆の中心の人物の1人と目され、10年の懲役に処せられた。
 

●大清水神社(市丸)

 神社の境内より霊水が湧き出ており、風水の神様が祀られている。 往古は官社で毎年6月のみそかに大宰府より幣が奉られたという。大江匡房が、当神社に立ち寄り読んだ歌が「夫木集」に載せられている。
 
●村上邸雪舟園(小森)

 文正元年(1466年)、画僧雪舟は、英彦山に赴く途中に懇意であった小森の村上家に立ち寄った時、 この庭園の樹木や地形に感激して、自ら池を掘り、石を据え、庭園を築造したといわれている。
 
●呼野の里程標

 呼野は秋月街道の宿場町であったことから里程標が残っている。 当時は高札場のあったお糸地蔵尊御堂前にたっていたが、現在は呼野公民館前にあり、方向の文字が反対 である。
 
●大山祇神社大公孫樹(呼野)

 昭和37年7月26日に県指定天然記念物となる。 県下でも最大級のものである。 胸高幹周8m50cm、樹勢が衰えていたので樹木医の診断の結果、平成8年〜9年と2年がかりで200万円の費用をかけ回復手術を実施、 現在では生き返り銀杏もなっている。
 
●お糸池(呼野)

 お糸という14歳の娘が人柱に立ったといわれる伝説の池。 堤の上にはお糸の墓と「お糸地蔵の由来」を書いた記念碑がある。毎年8月24日「お糸まつり」が開催される。
 
●島村志津摩顕彰碑(呼野)

 幕末丙寅の役(防長戦争)の際、小笠原藩家老島村志津摩は金辺峠を死守、 企救郡は長州の占領下になったが、田川郡は難をのがれた。これを感謝する同志の方が氏の没後10年、事変後20年目に建てられたものである。
 
   
    
●小笠原忠真歌碑(井手浦)

 二条城・江戸城の普請など幕府のために尽くし、その功で1632年に豊前小倉15万石に移封された城主の歌碑。   徳川家康のひ孫にあたる。幕府から信頼を寄せられており、九州探題の任も兼ねていたといわれている。1667年死亡。 
 
●法円寺と西光寺の梵鐘(新道寺・井手浦)

 左が法円寺、右が西光寺の梵鐘である。ともに県の指定文化財となっている。 法円寺の梵鐘は永徳(北朝年号)元年(1381年)の作。西光寺の梵鐘は、大正元年2月に土の中から発見されたもので 「至徳二年 豊前規矩郡大野庄井手浦西光寺鐘」と刻まれている。至徳二年は北朝の年号で1385年にあたる。
 
●平尾台の石仏

 吹上峠から自然歩道に添い、茶ヶ床を通り、見晴らし台、千仏鍾乳洞への道の周辺には薬師如来、千手観音、大日如来などの石仏27体がある。 特に瑠璃観音(光背に文暦元年(1234年)とある)は、新道寺村の歴史を教えてくれる貴重な石仏である。
●国定公園 平尾台

  昭和10年平尾台の千仏鍾乳洞が国の天然記念物に指定された。昭和25年には日本観光百選高原の部の第3位になり、 昭和27年に平尾台自体が国の天然記念物に指定された。この年に第1回の平尾台観光祭が地元主催で開催されている。 その後、昭和47年北九州国定公園となり、最近は、平成12年に「平尾台自然観察センター」が、平成15年に「平尾台自然の郷」がオープンした。

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●平尾台自然の郷の詩・歌碑
 
 平尾台には5基の歌碑がある。自然の郷の一角に栗原一登作の「石の羊」の詩碑、 高浜年尾の句碑、高津尾出身の出口夢詩朗の句碑があり、平尾台観察センターの前庭右側に河野青雲の句碑、 平尾台駐車場の中に阿南哲朗の童謡碑がある。
   ●千仏鍾乳洞

   
●河野青雲の句碑